スコッチウイスキーのこと

ウイスキーの代名詞

スコットランドは、ブリテン島の北部一帯を占め、約78,000平方キロメートルの面積をもつ。ハイランド地方、ローランド地方、北部・西部の諸島群に分けられる。

緯度からすると寒冷地にあたり、年間の気温差は余りないが、昼夜の気温差が激しい西岸海洋性気候の国である。川や島、荒野、沼地が多く、秋から冬にかけ、極端に日照時間は短くなり冬の寒さは厳しい。

この気候が原因となって大きな樹木は育たず、牧畜は盛んだが、農作物が豊かに育つ肥沃な土壌ではない。スコッチウイスキーは、この辺鄙で痩せた土地でつくられます。

岩肌が多い冷涼な荒地は、スコッチに独特の香りを与えるピート(泥炭)が堆積した地層。山々からの雪解け水は、花崗岩にしみ込んでこのピート層を通ることでろ過され、ウイスキーの風味に磨きをかけます。スコッチウイスキーは、このスコットランドの自然が生み出した恵みの雫といえます。

ウイスキーの歴史とすればアイリッシュ・ウイスキーの方が古いといわれていますが、現在のウイスキーの形をつくったのは、スコッチウイスキーです。

 

 

 

スコッチウイスキーの種類

スコッチウイスキーは、原料の違いでモルト・ウイスキー、グレーン・ウイスキー、ブレンデッドウイスキーの3つに分けられ、さらにモルト・ウイスキーは、シングル・モルトとヴァデット・モルトの2つに分けられる。

モルト・ウイスキー

ピート(泥炭)を燻してしみ込ませた大麦麦芽のみを使用し単式蒸留器で2~3回蒸留し、樽で3年以上熟成させたもの。オールモルト・ウイスキー、ピュア・モルト・ウイスキーと呼ばれることもある。

・シングルモルト

単一の蒸留所(シングル)で大麦麦芽(モルト)のみを使ったウイスキーのこと。同じ蒸留所の樽同士を混ぜても同様にシングル・モルトと呼ぶ。シングル・バレル(カスク)は蒸留所内のひとつだけの樽の原酒を瓶詰したウイスキーのことをいう。

・ヴァテッド・モルト

複数の蒸留所のモルト原酒を混ぜたウイスキーのことをいう。モルト・ウイスキー同士を混ぜる場合はブレンドではなく「ヴァテッド」という。2つの蒸留所の個性が一緒になることでまた優れた味わいになる。

 

グレーン・ウイスキー

大麦麦芽のほかに、トウモロコシ、ライ麦、小麦などを原料に、連続式蒸留機をで3回蒸留し、樽で3年以上熟成させたもので、ピートは使わない。モルト・ウイスキーのような個性はなく、アルコールが高い濃度になるよう蒸留しているためすっきりとした味わいとなる。

 

ブレンデッドウイスキー

2種類以上のモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーを混ぜたもの。モルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーの原酒をブレンドしたに再度熟成させる。個性的なモルト・ウイスキーをすっきりとしたグレーン・ウイスキーがカバーすることで飲みやすいタイプになる。

 

シングル・モルトの「シングル」とは、単一の蒸留所で造られたことを意味し、「モルト」とは、大麦麦芽を使用しているという意味。スコットランドの主なウイスキー産地は、スペイサイド、ハイランド、アイラ、キャンベルタウン、ローランド、アイランズの6つに分けられ、蒸留所は全部で約110か所になる。ほとんどがウイスキー名に蒸留所の名前が付けられていて、素性がはっきりしている。シングル・モルトが「ウイスキーの神髄」といわれる所以である。

シングルモルト・ウイスキーの種類は、蒸留の年や熟成年数、アルコール度などで分かれ、約1000種類程度になるといわれる。ブレンデッドウイスキーが万人受けするようにマイルドで飲みやすい味わいに造られるのに対し、シングルモルト・ウイスキーの特徴は強烈な個性にある。土地の気候や水、ピートの焚き具合により多種多様な風味を持つようになる。シングルモルト・ウイスキーの楽しみは、この強烈な個性を放つウイスキーの中から、自分好みのものを探し当てることともいえます。

 

 

 

スコッチウイスキーの始まりは、農民が片手間に造る自家製の地酒

スコットランドにウイスキー造りが伝わったのがいつ頃かははっきりとしませんが、12世紀頃にアイルランドのケルト人が持ち込んだのではないかといわれている。ウイスキーの語源となった「ウスケボー」「ウシュクベーハ」はケルト人の言葉、ゲール語であることからきています。

始まりは修道院などで造られ、ビールなどと同様に“薬用”として飲まれていました。『公式記録によれば、1494年のスコットランド財務省の記録に「修道士ジョン・コーに8ボルの麦芽を与え、アクア・ヴィテを造らしむ」と残されています。8ボルは約500㎏、ウイスキーにして1700ℓを造れる量です。

その後16世紀の宗教改革を経て、蒸留技術が民間にも広がるようになると、農家などで盛んに造られるようになります。大麦の生産量が上がるにつれ、余った大麦をウイスキーにして換金したり、地主への地代の一部にするようにもなりました。

つまりスコッチウイスキーの始まりは、農家が本業の片手間に造った地酒ということになります。しかし、この頃のウイスキーは純然たる蒸留酒ですから、ジンやウォッカ、ホワイトリカーなどと同じく無色透明でした。樽に詰め、時間をかけて熟成させるということがまだなされていなかったからです。ウイスキーが樽に詰められ熟成されるようになるには、13世紀まで待たなければならない。

 

 

 

弾圧から生まれたスコッチウイスキーの原型

アングロ・サクソン人が支配していた12世紀、イングランドとスコットランドの抗争はその頃から始まっています。イングランドがスコットランドに侵略を始め、それが長い戦いの発端でした。武力では圧倒的であったイングランドは、徐々に侵攻を深めスコットランドを追い詰めて行きました。

ウィリアム・ウォーレスなどの活躍により、スコットランドが一時的に独立を成し遂げた時代もありましたが、イングランド優勢の状態は変わりません。1603年、スコットランド王・ジェームズ6世により、突如イングランドとの統合が宣言されてしまいます。

スコットランド議会がウイスキーに対して初めて課税を行ったのは、1644年。しかしその後、1707年にイングランドによって併合された途端、ウイスキーに対して度重なる重税や迫害が行われるようになりました。

バグパイプの演奏禁止やキルトの着用禁止などという弾圧が続き、イングランドとは違った不公平で高額な酒税制まであっては、酒造りは地下に潜るより他はありません。密造酒の横行です。

この当時、合法的な蒸留所は8ヵ所であるのに対し、密造蒸留所はなんと800ヵ所もあったといわれます。それでもイングランドは弾圧の手を緩めることなく、酒税は度々高騰していきました。しかしこんな危機的状況がウイスキーに、思わぬ影響を与えたのです。

イングランド政府による税金の追求を免れるため、シェリーの空き樽に詰めカモフラージュしたところ、数年後に樽を開けてみたら、琥珀色の香り豊かでなめらかな酒質に変わっていたのです。現在のウイスキーに近いものの誕生です。

その後税制は妥当なかたちに変わり、10年余りの時間ををかけて、非合法な蒸留所が次々とライセンスを獲得し合法となりました。しかし、合法となって自由に造れるようになっても、ウイスキーはまだスコットランドの地酒にすぎませんでした。

そんなウイスキーが、世界中で飲まれるようになったのは、あることがきっかけだったのです。19世紀後半、フランス中のブドウ畑をフィロキセラが襲い、ワインやブランデー造りは壊滅状態に陥ってしまいました。スコットランドはフランスワインやブランデーの、大きな輸入国でした。飲むべきものを失ったスコットランド人が、ウイスキーに食指を伸ばすのは当然のことといえます。

やがてワインやブランデーが元の供給量を取り戻すようになっても、その消費が変わることはありませんでした。この間に、蒸留技術の大きな向上もあり、ウイスキーは大量生産できる体制もつくられていました。連続式蒸留機の発明です。

 

 

 

連続式蒸留機の登場

連続式蒸留機の発明により、グレーンウイスキーが大量生産されることが可能になりました。グレンーンウイスキーとは、トウモロコシや小麦、未発芽の大麦などを主原料にして、連続式蒸留機で蒸留したウイスキーです。焼酎でいうところのホワイトリカーとほぼ同じものです。

連続式蒸留機の原理は、1826年、ロバート・スタインにより考案されました。1831年には、これを改良し実用化し、特許を取得したのがアイルランド人のイーニアス・コフィーです。続蒸留機をコフィー・スチル、またはパテント・スチルと呼ばれることが多いのは、そのためです。グレーンウイスキーは、安価で大量生産が可能で、原料は何を使っても余り変わりなく、高濃度のアルコールが取り出すことが可能ですが、雑味が取り除かれると同時に、香りもほとんど飛んでしまいます。

その逆に、モルトウイスキーの弱点はひと樽ごとに味が違うために、飲んでみなければわからないという点でした。そこでまず考えられたのが、違う蒸留所のモルトウイスキーを混ぜ合わせるヴァッテッド・モルトでした。1853年、彼はザ・グレンリベットの熟成年の違うモルト原酒をブレンドしたヴァテッド・ウイスキーを発売、好評を得ることとなりました。

ところがそこで事態が一変することが起こります。酒税法の変更がなされ、モルトとグレーンを保管庫内で混ぜることが法律上認められたのです。1860年には、モルトとグレーンをブレンドした現在の姿にほぼ近いブレンデッドウイスキーが誕生しました。素朴な味わいで値段も手頃なブレンデット・ウイスキーは消費者から大歓迎されたのです。

しかし、モルトウイスキーの醸造者たちはこれに激しく反発、「ブレンデッドウイスキーはスコッチウイスキーにあらず」と訴訟を起こしたのです。激しい論争の末この争いはブレンデッド派の勝利に終わりました。

この出来事以降、スコッチウイスキーといえば、ブレンデッドウイスキーという認識が高まっていったのです。1877年には、DCL(グレーン・ウイスキー業者の集まり)が結成され、モルト・ウイスキー蒸留所を買い占めて生産量を増やし、世界中へ輸出していきました。

シングルモルトはブレンデッドウイスキーの原酒という認識に変わり、単独で造られることは余りなくなっていったのです。19~20世紀初頭にかけスコッチ(ブレンデッドウイスキー)の人気はピークを迎えますが、アメリカの禁酒法(1920~1933年)や、第一次世界大戦、世界不況が立て続けに起こり、1920年代にはスコットランドの中小の蒸留所は閉鎖に追い込まれてしまいます。復活の兆しが見えたのは、第二次世界大戦も終わった1950年頃。それでも、市場のほとんどを占めていたのは大企業のブレンデッドウイスキーであることに変わりはありませんでした。

シングルモルト・ウイスキーが再び脚光を浴びるようになるのには、かなりの時間を必要としました。ブレンデッドウイスキーが市場を席巻する時代が長く続いても、モルト原酒をブレンデッド用に回さない蒸留所もあったのです。彼らは瓶詰業者と協力して、モルト・ウイスキーを世界中に売り出していったのです。こうした地道な努力がついに結実し、1980~1990年代にかけての「シングルモルト・ウイスキー」ブームへとつながってゆきました。