バーボンウイスキーのこと

開拓者が造り上げたウイスキー

1776年、アメリカは独立をはたしました。しかし南北戦争の末の建国に、財政状況は不安定な状態でした。1791年、初代大統領ジョージ・ワシントンは財政健全化の方策として、ウイスキー税を導入しました。しかし、スコットランド系アイルランド系の農民たちがこれに反発、暴動が起きるまでの事件に発展したのです。なんとか鎮圧はしたものの、ウイスキー課税を嫌った農民たちはケンタッキーやテネシーなどの西部へと逃れます。

当時はまだこの地方はアメリカ政府の手の及ばない“外国”だったのです。ケンタッキーではすでに、バーボンの祖といわれたエライジャ・クレイグによって、トウモロコシを原料とするバーボンがつくられていました。この地に逃れた農民たちもウイスキーづくに加わり、見る間にケンタッキーはウイスキー造りの本場となっていったのです。ウイスキー造りは盛んになってゆきましたが、1920年(大正9年)に天下の悪法・「禁酒法」施行によってほとんどの蒸留所が閉鎖に追い込まれてしまいました。

酒場は人目をはばかり地下にもぐり、密造酒はギャングの資金源となり、まともな給料を貰っていなかった財務官が賄賂によって潤うなど、まさに暗黒時代の様相を呈しました。禁酒法は何の恩恵ももたしませんでした。そしてもうひとつ、カナディアン・ウィスキーの台頭です。この機に乗じてアメリカ市場における大きな評価を獲得したのです。1933年(昭和8年)、禁酒法は廃止されましたが、カナディアンウイスキーの人気は続きました。

当時はまだこの地方はアメリカ政府の手の及ばない“外国”だったのです。ケンタッキーではすでに、バーボンの祖といわれたエライジャ・クレイグによって、トウモロコシを原料とするバーボンがつくられていました。この地に逃れた農民たちもウイスキーづくに加わり、見る間にケンタッキーはウイスキー造りの本場となっていったのです。ウイスキー造りは盛んになってゆきましたが、1920年(大正9年)に天下の悪法・「禁酒法」施行によってほとんどの蒸留所が閉鎖に追い込まれてしまいました。

酒場は人目をはばかり地下にもぐり、密造酒はギャングの資金源となり、まともな給料を貰っていなかった財務官が賄賂によって潤うなど、まさに暗黒時代の様相を呈しました。禁酒法は何の恩恵ももたしませんでした。そしてもうひとつ、カナディアン・ウィスキーの台頭です。この機に乗じてアメリカ市場における大きな評価を獲得したのです。1933年(昭和8年)、禁酒法は廃止されましたが、カナディアンウイスキーの人気は続きました。

バーボンの語源

バーボンの語源はフランスのブルボン王朝に由来します。独立戦争の際にアメリカに味方した功績をたたえ、バーボン郡をケンタッキーにつくりました。ブルボン(Bourbon)を英語読みして“バーボン”;にしたわけですね。その地ではウイスキーづくりが盛んに行われていて、いつの頃からかバーボンがウイスキーの名称になったと言われています。ケンタッキーはバーボンの全生産量の約8割を占めています。